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高松地方裁判所 昭和44年(ワ)264号 判決 1975年3月31日

原告 池田蔦次

被告 国

訴訟代理人 岡崎範夫 中野大 ほか三名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

第一被告は、原告の本訴請求は前訴確定判決の「既判力」に抵触する、然らずとするも「訴権の濫用」である旨主張するので、まずこれらの点について検討しておこう。

一1  請求原因第四項2記載の事実は当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、<証拠省略>、弁論の全趣旨及び本件訴訟の経過を併せると次の事実を認めることができ、反証はない。

(一) 原告は本件土地が買収されたことを不満とし、本件土地を取戻すために、本件土地の買収処分は違法な瑕疵があつて無効であるとして、まず昭和三五年、高松地方裁判所に訴外香川県知事を被告として、「被告が本件土地について、買収の時期を昭和二四年一二月二日と定めてなした買収処分は無効であることを確認する」旨の、農地並びに宅地買収処分無効確認の訴えを提起し(同庁昭和三五年(行)第六号事件)、次で三六年、同裁判所に、本件土地の売渡を受けて、現在所有名義人となつている訴外野沢伊太郎、同松下良平並びに両訴外人からその一部をそれぞれ分筆、譲渡されてやはり現在所有名義人となつている訴外金沢富美子、同真鍋アイ、同吉田吉治、同小川敏康、同金沢義一、同広瀬政幸を被告として、「被告らがそれぞれ占有して使用している土地を、原告に対して明渡すことを求める」旨の、登記抹消手続並びに土地明渡の訴えを提起し(同庁昭和三六年(行)第六号事件)、両事件は併合のうえ審理され、昭和三九年四月三〇日、昭和三五年(行)第六号事件については、甲地については、これに対する買収処分を無効ならしめる事由を見出すことはできないとの理由で請求棄却の、乙地及び丙地については、これが買収処分がなされる前に既に売買によつて訴外野沢伊太郎の所有となり、原告はその所有権を喪失していたから、仮りに買収処分手続に瑕疵が存し、その無効であることが確認されたとしても、原告の所有権が復活することはなく、原告の現在の権利または法律上の利益に何ら影響するところがなく、法律上の利益を欠くとの理由で訴え却下の、また昭和三六年(行)第六号事件については、甲地については、訴外香川県知事のなした買収処分は無効とは認められず、乙地及び丙地は訴外野沢伊太郎の所有となつているから、所有権に基づく土地明渡しは理由がないとして、請求棄却の、各判決がなされた。

(二) 原告は右判決を不服として、直ちに高松高等裁判所に控訴した(同庁昭和三九年(行コ)第六号)が、昭和四七年三月二二日、甲地について、買収処分を無効ならしめる事由は認められず、乙地及び丙地については本件買収処分前に訴外野沢伊太郎に売却され、原告は所有権を失つていたと認め、原判決の判断は正当であるとして、控訴棄却の判決がなされた。

原告はさらに、最高裁判所へ右控訴審判決の全部破棄を求める旨の上告申立をした(同庁昭和四七年(行ツ)第七四号)が、昭和四八年七月一九日、右控訴審判決並びに第一審判決には違法はないとの理由で、上告棄却の判決がなされて、確定した。

(三) ところで、原告は、右第一審判決に対して控訴審である高松高等裁判所で審理中である、昭和四四年八月一二日、国を被告として、右審理中の事件において、本件買収処分は違法であるが無効でないとの理由により、あるいはまた無効ではあるが本件土地の売渡しを受けた者及びその承継人に取得時効が認められるとの理由により請求が棄却される可能性は否定できず、かような場合に判決確定をまつて、国家賠償法一条にもとづいて、本件土地所有権喪失による損害賠償請求訴訟を提起しても、二〇年の消滅時効にかかり、損害賠償を請求する機会を失うから、将来の給付の訴として、損害賠償請求訴訟を提起することは許される、そうでないとしても、本件買収処分にもとづく紛争の場合は、土地の返還訴訟と、買収処分にもとづく国家賠償訴訟とは併列的に請求しうるとして、本件訴え(すなわち、当庁昭和四四年(行)第二六四号損害賠償請求事件)を提起し、先の事件(第一審昭和三五年口第六号、昭和三六年(行)第六号、第二審昭和三九年(行コ)第六号、上告審昭和四七年(行ツ)第七四号)は既に原告の敗訴に確定したが、原告はその後も本訴を維持している。

二  そこで、まず「既判力」に抵触するか否かについて、みてみる。

1  前記認定のとおり、前訴確定判決は、本件買収処分をなした被告国の機関である訴外香川県知事(第一審昭和三五年(行)第六号事件)並びに本件土地の売渡しを受けた訴外野沢伊太郎、同松下良平及びこれらの承継人(第一審昭和三六年(行)第六号事件)を相手方とし、本件買収処分及び売渡し処分は無効であることを理由とする買収処分の無効確認、土地明渡の訴訟であり、甲地については本件買収処分を無効とすべき事由は認められないとして請求棄却の、乙地並びに丙地については訴の利益なしとして却下の判決がなされているのである。

2  ところで、行政事件訴訟法上の抗告訴訟(本件で問題となつている行政事件訴訟は、行政処分(本件買収処分)無効確認訴訟である。)において本案判決がなされ、請求棄却の判決が確定したのち、後日国家賠償法にもとづいて損害賠償請求訴訟を提起し、その訴訟において、当該行政処分の違法性を主張することが許されるか、否かについては、学説上は肯定、否定の両説が存在するところ、これを肯定する学説(例えば、行政法講座第三巻近藤「判決の効力」、民事訴訟法講座第五巻瀧川「行政訴訟の請求原因・立証責任及び判決の効力」、杉本「行政事件訴訟法の解説」等)も、主として(行政)処分取消訴訟を念頭において論議しているものの如くである。しかし、そもそも(行政)処分取消訴訟における「違法性」と、国家賠償法にもとづく損害賠償訴訟における「違法性」とは同一、同質なものであるかについて、疑いがないわけではなく、いわんや、前訴確定判決が依拠したと推認される、行政処分の無効原因と取消原因との区別基準である「重大かつ明白な違法」の理論によれば、仮りに行政処分に瑕疵が存在し、違法であるとしても、その違法が重大かつ明白でない限り、行政処分無効確認の請求は棄却を免れないのであるから、行政処分無効確認訴訟において、請求棄却の判決があり、これが確定したとしても、当該行政処分が違法でないことまでが、公権的に確定されたものと速断することはできない。そしてこのことは本案判決に至らず訴訟判決でもつて訴が却下されている場合には、当該行政処分の違法性の存否それ自体については何らの判断もなされていないのであるから、なおさらのことというべきである。

結局、抗告訴訟における本案判決において請求棄却の確定判決が存在することは、後訴における国家賠償訴訟において、当該行政処分の違法性を主張する妨げとはならないものと解する。

そして、原告の主張を全体として諒察するときは、原告は行政処分の無効を取上げて損害賠償請求の根拠としているかのような表現をしているものの、その実質は、処分の無効にとどまらず、処分に存在する瑕疵に由来する違法性を主張しているものであることは十分これを首肯することができる。

3  従つて、被告の「既判力」の抗弁は理由がない(なお、被告の引用する裁判例は、本件と事案を異にし、いずれも適切ではない。)。

三  次に「訴権の濫用」の抗弁について考察する。

1  訴訟の提起並びにその追行(被告の主張する「訴権」とは、このような内容のものを指すものと解せられる。)も、私権の濫用の場合と同様、原告において裁判所の判断を求めるべき権利または法律関係のないことを知りながら、敢て訴訟を提起する、或いは権利の行使に名を藉りて不法の目的を遂げようとする意図で訴訟を提起するような場合は、権利の濫用として許されず、不適法として却下されざるを得ないであろう。

2  ところで、前記のとおり、原告は前訴において、本件買収処分及び売渡し処分には違法な瑕疵が存するとして、本件買収処分の無効確認(並びに無効を前提とする土地明渡し)の訴えを提起し、第一審において無効確認請求について一部却下、一部棄却(土地明渡し請求については全部棄却)の判決がなされた後、控訴審継続中に、無効確認訴訟(並びに土地明渡し請求訴訟)が将来原告の敗訴で確定し、本件土地に対する所有権を確定的に失うにいたることを憂慮し、その場合のために、国家賠償を求めるものとして本件訴訟を提起したものであるが、前記判断のとおり、行政処分無効確認訴訟における請求棄却の確定判決の存在は、国家賠償法にもとづく損害賠償請求訴訟において、当該行政処分の違法を主張する妨げとはなるものでなく、本件全証拠によるも、本件訴訟の提起が、原告において裁判所の判断を求めるべき法律上の利益がないことを知つていながら、いたずらに訴訟を提起したこと、あるいは権利行使に藉口して不法、不当な目的完遂のための訴訟を提起したこと等の、いわゆる「訴権の濫用」であることをうかがわしめるに足る事情は、何ら認められない。

3  従つて、「訴権の濫用」であるとして、訴の却下を求める被告の主張は理由がなく、排斥を免れない。

第二そこで、本案について検討していこう。

一  まず本件土地の買収処分並びに売渡し処分がなされた経緯についてみてみる。

1  甲地と乙地とは、元一筆の土地(登記簿上の地目は田)であつたが、本件買収処分前に甲地と乙地とに分筆され、乙地は田から宅地に地目変更がなされたこと、被告の機関である訴外香川県知事は、昭和二四年一二月二日付で、甲地を自創法三条五項七号による申し出買収として、乙地及び丙地を同法一五条による付帯買収として、それぞれ買収処分に付したこと、右買収処分後、甲地は訴外松下良平に、乙地及び丙地は同野沢伊太郎にそれぞれ売渡されたこと、昭和二三年ころ、原告は訴外村尾コナミの仲介により、訴外菊谷弥三郎から二万円を借用したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、<証拠省略>と弁論の全趣旨を総合すると、大要次の事実が認められる。

(一) 原告は、昭和一〇年一一月六日、本件土地の所有権を訴外菊谷フサから売買によつて取得し、即日その旨の登記を経由した。

右売買当時、甲地と乙地とは登記簿上一筆の土地で、その地目も田とされていたが、乙地部分は既に埋立てられて、現況は宅地化していた。そして、甲地部分は訴外菊谷フサが自ら耕作していたが、乙地部分及び丙地は訴外野沢伊太郎が同菊谷フサから賃借し、乙地部分には家屋を建築しその敷地とて、また丙地は畑地として耕作して、それぞれ使用していた。

そこで、原告は本件土地取得後間もなく、右利用状況をそのまま認めることにし、甲地部分については訴外菊谷フサに対し、新たに賃借権(小作権)を設定するとともに、乙地部分及び丙地については訴外野沢伊太郎に対し、同人が訴外菊谷フサから賃借していたときと同条件で、黙示的に賃貸人の地位を引継いできた。

(二) 原告は、本件土地の管理を実兄である訴外池田実利に委ね、同訴外人が訴外菊谷フサら賃借人から賃料(小作料または地代)を受領する等して、これを管理、保存していた。

他方、訴外菊谷フサの方でも、同訴外人の実兄である訴外菊谷弥三郎が、訴外菊谷フサ及びその実子訴外松下良平母子のために後見役をつとめ、同人らの生活全般にわたつて面倒をみており、甲地部分の小作料の支払等自ら担当していた。

(三) 原告は、終戦により昭和二一年七月一〇日ころ、復員して高松に戻り、高松市今里町三七〇番地の実兄訴外池田実利方に身を寄せて同二二年ころには訴外松本久子と結婚して世帯を持ち、旋盤、ボール盤等を据付けた小規模の鉄工所を経営するようになつたが業績が思わしくなく、同二二年の末ころまでには、右鉄工所の経営を廃棄し、さらに高松市内の岡島製材所に勤めるようになつたが、妻久子との間に一子が生まれたこともあつて、妻の実父の所有にかかる高松市塩上町字内間一、〇八六番地の土地を借りて、同所に家屋を新築し、これに家族と同居するとともに、同家屋で妻に飲食店を経営させることにした。

(四) しかしながら、当時、原告は自己の手持金と前記鉄工所設備を売却した金を持ち合わせていたものの、それだけではとうてい右家屋の新築費及び飲食店経営の資金に足りないため、昭和二三年ころ、かねてより顔見知りの訴外村尾コナミに金策方を依頼し、同訴外人の仲介で訴外菊谷弥三郎から二万円を借り入れることに成功し、さらに、昭和二四年ころ妻を通じて訴外村尾コナミに土地売却の仲介を依頼し、その仲介により乙地部分及び丙地をその賃借人であつた訴外野沢伊太郎に代金一万円で売却した。

そして、原告は以上の土地売卸代金や、工場の処分代金及び手持金をもとにして前記塩上町に木造瓦葺平家建店舗兼居宅(建坪七坪)を完成し、同店舗で妻に、いわゆる特殊飲食店を経営さ冠、自己は前記製材所に勤めるかたわら、右飲食店をも手伝つていた。

しかして前記菊谷弥三郎からの借金については同人から、妻久子を介してしばしば強く返済方の督促があつたものの、原告はそのころ生活を維持することが精一杯で、経済的に余力がなかつたため、やむを得ず、昭和二四年ころ、同訴外人に対し、右借金二万円の弁済に代えきらに、一部追加金の支払いを受けることにより甲地部分の所有権を移転することとし、その旨の契約をした。

(五) ところで、前記のとおり、原告は、代物弁済契約あるいは売買契約によつて本件土地の所有権を訴外菊谷弥三郎らに譲渡することを約したのであるから、契約にもとづきその旨の所有権移転登記手続をなすべき義務を負つていたところ、右登記手続については当時の世情等からして、右契約の内容を実現するための方便として、いわゆる農地解放の手続を利用するのが最も有利との考えから、原告側より、自創法による買収と売渡し手続によつて所有権の移転とその登記を経ることを目論み、所轄の訴外太田地区農地委員会に対し甲地部分については買収の申出をした。

そして、本来甲地部分の所有者は訴外菊谷弥三郎となるはずであつたが、同訴外人は甲地部分の小作人ではなく、自創法にもとづく売渡しを受けられないため、同訴外人の甥で、現実に同地を耕作していた訴外松下良平が売渡しを受けることにした。

前記農地委員会からの申請にもとづいて、訴外香川県知事は、先ず甲地部分と乙地部分とを分筆、乙地部分の地目を田から宅地に変更したうえ、昭和二四年一二月二日付で、甲地を自創法三条により原告から買収し、同日付で甲地を同法一六条によつて訴外松下良平に売渡し、また乙地及び丙地はその経緯は明らかでないが、同法一五条により買収のうえ同法二九条によつて訴外野沢伊太郎に売渡し、これらの訴外人らのために所要の登記手続を了した。

しかして、乙地及び丙地は右買収、売渡し処分がなされた当時すでに現況宅地となつていたものである。

3  前記認定の事実に反する<証拠省略>は、前掲各証拠に照らし、たやすく採用することができない。

二  本件土地が原告からの買収の申出(甲地)及び付帯買収の申請(乙地及び丙地)にもとづいて、買収処分に付され、訴外松下良平、同野沢伊太郎に売渡された経緯は以上に認定したとおりであるが、本件訴訟における最大の争点は、右買収処分が原告から買収の申出及び付帯買収の申請にもとづくものか否か、さらにはその前提として、甲地について訴外菊谷弥三郎との間で代物弁済契約が、乙地及び丙地について訴外野沢伊太郎との間で売買契約がそれぞれ成立していたか否かという点に帰着するので、これらの点について前記のとおり認定するのに当り、当裁判所が考慮した事項のうち、いくつかの点につきさらに補足して説明を加えておこう。

1  <証拠省略>(高松簡裁昭和三〇年(ハ)第九五号事件において原告が提出した訴状)には「原告(池田蔦次)は従来より高松市伏石町に農地を所有し、これを耕作してきたのであるが、昭和二三年六月頃、同所に在住する菊谷弥三郎なる人に、これを売却し(中略)家屋を建てた。」と、<証拠省略>(高松簡易裁判所昭和三〇年凶第九五号事件における原告池田蔦次の本人尋間調書)には「本件家屋(中略)(の)請負代金は私の田地一反五畝位を売つて得た二万五、〇〇〇円と私の宅地を売つて得た一万円(中略)を当時私の妻であつた被告(松本)久子に渡して(中略)(建てた)。」と、<証拠省略>(住居侵入被疑事件の被疑者である池田蔦次の検察官に対する供述調書)には「(前略)、(昭和二三年)六月頃には塩上町に家を建て、そこで生活を始めました。この家は私の土地を売つた三万五、〇〇〇円の金で(中略)建てたものであります。」と、それぞれ甲地の代物弁済、乙地及び丙地の売の事実を認めた供述の記載がある。

しかるに、原告はその後右各供述に反し、高松地方裁判所昭和三五年(行)第六号事件における原告池田蔦次の本人尋問において、前記各供述は真実に反するものとして、種々弁疏している(<証拠省略>)ことが認められるのであるが原告の右弁解は全体としてあまりに不自然であり、十分人を納得きせるに足るものとはいえない。

2  原告が訴外菊谷弥三郎から家屋の建築資金として二万円を借用したことは、当事者に争いがないところ、右借入金の返済について原告は、<証拠省略>においては「借りたままになつている。催足を受けたことはない。」旨の、<証拠省略>(高松高等裁判所昭和三九年(行コ)第六号事件における控訴人池田蔦次の本人尋間調書)においては「二万円の借用については、利息についても、また返済期限についても、何らの定めはなかつた。返済について仲介人の村尾コナミからも貸主の菊谷弥三郎からも催足はなかつた。」旨の各説明をしている。

右のようなことが一般的にあり得ないこととまでは断言しえないものの、当時の状況(昭和二三年ころにおいて、金二万円といえば、極めて大金である。)からして極めて希有なことと考えざるを得ないところ、この点を納得させるに足る何らかの事情が存在したことをうかがわしめる資料のない本件では原告のこれらの供述記載はたやすく首肯することができない。

3  また甲地の代物弁済、乙地及び丙地の売買の事実を認定するについて、最も重要である仲介人村尾コナミの証言<証拠省略>はこの点について肯定的な内容となつているのであるが、これについては原告と村尾コナミとは近隣に居住し、かつ縁戚関係にある<証拠省略>のであり、真実に反してまで原告に不利益な証言をしなければならないような特段の事情が存在することをうかがしめるような資料はなく、同人の証言はかなり信用性の高いものである。

4  原告が、本件土地の買収処分が無効であると主張して訴訟を提起したのは、本件買収処分がなされた後一〇年余を経過した昭和三五年に至つてであり、その間買収、売渡し処分の効力を云為した形跡をうかがう資料はなく、結局その間放置していたと認めるほかはないところ、買収処分に、原告主張のような不本意な点があつたとすれば、それにも拘らず放置していたことについての合理的な説明を付しうる資料もない。

5  かえつて、<証拠省略>の方が、これらの証拠双互の間に多少のそごはあるものの、大要においてほぼ一致しており、また論理的な整合性が認められる。

6  さらに、文書の方式と趣旨とにより公務員の作成にかかり真正な公文書と推定される<証拠省略>により、本件甲地の申出買収がなされるにいたつた根拠となつた申出書であると認められる<証拠省略>の申出名義人の署名は、成立に争いのない<証拠省略>によれば、原告自身の筆跡とみても矛盾がないことの鑑定結果が出ており、この点はむしろ被告の主張し、前記の認定を裏付ける有力な資料ということができる。

7  もつとも、<証拠省略>には昭和二四年一二月一一日付で、原告が菊谷弥三郎から二万六、四〇〇円を領収した旨の記載があり、受取人として原告名義の署名があるところ、原告は右署名が何人かにより偽造されたものであると主張しており、確かに成立に争いのない<証拠省略>によれば、右署名は原告自身の筆跡ではないことが明らかである。

しかし、<証拠省略>によれば、<証拠省略>の原告名義の署名が何人によつてなされたかはともかくとして、原告の意思にもとづいてなされたものと認めることが相当であるから、<証拠省略>の右署名が原告の筆跡でないことは必ずしも、前記の認定を妨げる資料とはならないし、むしろ<証拠省略>の存在自体が右に掲記した他の証拠と相侯つて、前記認定の裏付け資料となりうるものと考えられる。

8  よつて、結局以上の観点等をも併せて前記一、2冒頭に掲記の各証拠を総合判断するときは、被告の主張の方すなわち代物弁済及び売買があつたものと認めるのが、事案の真相に合致するものと考えられる。

三  以上認定の事実関係にもとづいて、原告の損害賠償請求権の有無について検討する。

1  まず、本件甲地の買収及び売渡し処分については、原告が農地である甲地を代物弁済として他人に譲渡することを約し、その契約にもとづいて、所有権の移転とその登記手続とをなすべき義務を負担したところ、その実現の手段として自創法上の買収及び売渡し処分を自らの意思により利用して、当初の目的どおりの結果を実現したものということができるから、仮りに買収処分に、行政処分の法適合性の観点からみた場合に瑕疵があつたとしても、その瑕疵がそのまま放置することが許されないほど重大な場合は格別として(本件ではそのような事情は認められない。)、その瑕疵を云為して買収処分の違法を攻撃し、損害の賠償を請求することは許されないというべきである。

2  次に、乙地及び丙地については、前記認定の売買後、おそくとも、本件の買収及び売渡しがされるまでの間に、全体が現況宅地(乙地については売買前から宅地であつた。)と化し、その時点で、全体につき地方長官の許可をまたずに、買受人に所有権が移転し、原告の所有ではなくなつたのであるから、その後に買収、売渡し処分がなされても、これにより原告に何らの損害が生じるいわれはなく、やはり損害賠償請求権はないとしなければならない。

3  従つて、その余について判断するまでもなく、原告の請求は全部理由がなく、排斥を免れない。

第三以上のとおり、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤豊治 浦野信一郎 澤田英雄)

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